ガバナンスで動かすBIM:プロセスモデリングで読み解くISO 19650と「所有者」の論理(完全解説版)
BIM化が進む中、真の課題は「ツールの不足」ではなく「デジタルな方向性の所有権(オーナーシップ)」の欠如にあります。情報を統治(ガバナンス)するための国際標準「ISO 19650」は、単なるソフトの使い方ではなく、この所有権を明確にするための枠組みです。
建設業界における情報管理の不備は、スケジュールの遅延や深刻なコスト超過を引き起こし、米国ではプロジェクトデータのエラーやコミュニケーションの齟齬が全手戻りの48%を占め、2020年には不正確なデータが世界の建設業界に1.84兆ドル(約270兆円)もの損失をもたらしたと推計されています。
今回は、最新の研究論文「Decoding ISO 19650 Through Process Modelling for Information Management and Stakeholder Communication in BIM」を紐解き、複雑な要件をBPMN(ビジネスプロセスモデリング表記法)などのプロセスモデルを用いて「見える化」するアプローチについて、BIMobject Japanの日光速様にご解説いただきました。
本記事を読むことで、テキストベースのISO 19650が抱える導入の壁、プロセスモデリングによる要件(OIR/PIR/EIR/AIR)の整理、CDE(共通データ環境)ワークフローとゲートキーパーの役割について、概要を掴むことができます。
第1章:BIMからIM(情報マネジメント)へ — ISO 19650の現在と進化
デジタル化の失敗は、多くの場合ツールの不足ではなく「デジタルな方向性の所有権(オーナーシップ)」の欠如に起因します。ISO 19650は、単なる3Dモデルの作成(BIM)から、プロジェクト全体の意思決定を支える「情報マネジメント(IM)」へとアイデンティティを再定義するものです。2026年に予定されている規格改訂では、この「誰がデジタルの未来を所有するか」というガバナンスの側面がさらに強化されます。

画像: 筆者作成
プロジェクトには、規制者(適合性)、デベロッパー(納期・予算)、所有者(資産価値)、運用者(安定性)という、異なる時間軸と定義を持つ4つの「論理」が存在します。
例えば、デベロッパーにとっての成功が「納期の遵守」であるのに対し、所有者にとっては「数十年にわたる運用の効率性」が成功となります。各者が独自の目標で局所最適化(サイロ化)を行うため、設計・施工段階の情報が後工程で「使えない」と拒絶される構造的欠陥が生じてきました。プロセスモデリング(BPMN)は、これら矛盾する論理を視覚化し、各フェーズのインセンティブを「共通言語」として統合する強力なガバナンス・ツールとなります。
現在のISOの実務において重要なのは、フォーマットや技術に関わらず、設計・施工段階で作成された情報が検証され、その後の数十年間にわたる建物の運用(オペレーション)において確実に利用可能である状態を作ることです。
建物のライフサイクル全体を通じた情報の流れは、プロジェクトの進行を示す時計回りの円(プログラミングから維持管理へ)と、ライフサイクル全体で永続的に保持される「ライフサイクルデータ(ゴールデンスレッド)」の青いリング、そして特定のフェーズのみで一時的に使用される「フェーズ固有データ」の緑色の円弧として示されます。引き渡し時には、構築時のデータ(As-Built)が維持管理用データ(As-Managed)へと移行する重要な転換点が示されます。

画像(出典):Abanda et al. (2025) より筆者作成
第2章:ガバナンスの壁となる「テキストの複雑さ」とプロセスモデリングの力
情報マネジメントの重要性が高まる一方で、ISO 19650の導入現場では「テキストの複雑さ」が最大の障壁となっています。ISO 19650の文書は直線的で静的なテキスト形式であるため、要件間の動的な相互関係を把握することが困難であり、プロジェクト参加者間で解釈の不一致を招きやすいことが指摘されています。これにより、各ステークホルダーが自部門のためだけに最適化を行う「サイロ化」が発生してしまいます。
この複雑なテキストを紐解き、多分野にわたるプロジェクトチームで共通言語を作り出す強力な手法が、「プロセスモデリング(BPMN 2.0等)」を用いたワークフローの視覚化です。プロセスモデルは、誰が(役割)、何を(要件)、いつ(マイルストーン)、どのように(システム)引き渡すかをグラフィカルに表現し、専門知識のないメンバーでも直感的に理解できるようになります。
プロセスモデル構築の研究アプローチは、ISO 19650のテキスト要件の抽象化から始まり、BPMN 2.0を用いた初期プロセス・マップの作成、表現の明確さを問う判定ノードでの修正ループ、そして専門家への詳細なインタビューを通じたモデルの妥当性検証を経て、最終的に公開に至る厳格な品質管理プロセスが描かれています。

画像(出典):Abanda et al. (2025) より筆者作成
第3章:情報要求の階層構造(OIRからAIRまで)
「とりあえずデータを集める」という発想が、無駄なコストと情報の断絶を生みます。ISO 19650の核心は、経営層の「なぜ(OIR)」から現場の「何を(EIR/IPR)」までを一貫させる「情報の鎖(ゴールデンスレッド)」にあります。
これにより、デベロッパーの「納期と予算内での引き渡し」という短期的な論理と、所有者の「長期的な資産価値の維持(AIR)」という長期的な論理の間に生じる構造的な不一致を解消し、プロジェクト全体で一貫した情報を定義することが可能になります。
現在の実務では、この情報の鎖は以下の4層で構成されています。
- OIR(組織の情報の要求事項): 企業戦略や資産管理の目標など「なぜその情報が必要か」を定義します。
- PIR(プロジェクトの情報の要求事項): 特定のプロジェクトにおいて、意思決定を下すために「どのような情報が必要か」を定めます。
- EIR(交換情報の要求事項): 情報を「いつ、どのように、どのようなフォーマットで」引き渡すかという、サプライチェーン向けの具体的な実行ルールです。
- AIR(資産の情報の要求事項): 建物が完成した後、維持管理・運用していくために「必要な情報」を定義します。

画像(出典):Abanda et al. (2025) より筆者作成
図解することで、発注者が作成する経営層向けの「OIR」とプロジェクト向けの「PIR」が、最も詳細で実行可能な層である「EIR」へと繋がり、「管理的要件」「商業的要件」「技術的要件」の3つに分類されることが視覚的に理解されます。また、OIRから建物運用に向けた「AIR」へ、そしてAIRからEIRへと要件が影響を与える関係性も示されています。
【2026年改訂に向けた教育的リマインダー】
現在「EIR(Exchange Information Requirements)」と呼ばれている文書は、2026年の改訂により、プロジェクト期間全体を通じたデータの「生産(Production)」プロセスに焦点を当てるため、「IPR(Information Production Requirements:情報生産要件)」に名称変更される予定です。
第4章:プロジェクトの役割定義と情報生産計画(BEPの進化)
ISO 19650のプロジェクト実務において、情報マネジメントの役割は以下の3つに明確に定義されています。
- Appointing Party(発注者/クライアント): 情報マネジメントの要件を定義し、最終的な情報の承認を行う責任者。
- Lead Appointed Party(元請業者/元請設計者): BIM実行計画を策定し、情報デリバリープランを管理する責任者。
- Appointed Party(専門工事業者/サブコン/メーカー): 定められた要件と標準に従って情報を実作成し、納品する責任者。
誰が情報の最終責任を持つかを明確にしない限り、デジタル化はただの調達プロセスに成り下がります。発注者(Appointing Party)が要件を定義し、元請(Lead Appointed Party)が実行計画を策定する際、2026年改訂で「IPP(情報生産計画)」と呼ばれるようになるこの枠組みは、単なるモデリング作業の指示書ではなく、プロジェクトのデジタル資産をどう構築・納品するかという「統治のロードマップ」へと進化します。この計画策定は、「入札前のPre-BEP」と「契約後のPost-BEP」の2段階で行われます。Post-BEPでは、責任マトリックス、命名規則、CDEの運用プロトコルに加え、プロジェクトコードや分類システム(Uniclass等)、LOIN(必要情報詳細度)、ITソリューションに至るまで詳細に規定されます。


画像(出典):Abanda et al. (2025) より筆者作成
【2026年改訂に向けた教育的リマインダー】
BIM実行計画(BEP)は、3Dモデリングだけでなくすべての情報生産を網羅する目的で、2026年の改訂で「IPP(Information Production Plan:情報生産計画)」へと名称変更される提案がなされています。情報のブレイクダウンとスケジューリング
元請業者(Lead Appointed Party)は、発注者の高次なEIRを、サブコン向けの実行可能な要件(EIR-LEAP)に翻訳するワークフローを実行します。このプロセスは、
1. 各情報要件の定義、
2. LOIN(必要情報詳細度)の確立、
3. 納品日の設定、
4. 許容基準(Acceptance criteria)の確立、
5. 補足情報の確立という5つのステップから構成されています。

画像(出典):Abanda et al. (2025) より筆者作成
誰がどの情報を提供するかが決まると、次は納品のスケジューリングです。
- TIDP(タスク情報デリバリープラン): 各タスクチームが自身の納品物や形式を定義したもの。
- MIDP(マスター情報デリバリープラン): 情報マネージャーがすべてのTIDPを収集し、ギャップや不整合を特定・チェックした上で統合し、承認された単一のマスター計画。

画像(出典):Abanda et al. (2025) より筆者翻訳
【2026年改訂に向けた教育的リマインダー】
TIDPとMIDPは、建設業界のスケジュール管理と親和性を高めるため、2026年に「IPS(Information Production Schedule:情報生産スケジュール)」という単一の用語に統合される見込みです。
第5章:共通データ環境(CDE)とゲートキーパーの絶対的役割
CDEは単なるデータ置き場ではありません。各ステークホルダーの異なる論理によって情報が劣化するのを防ぐ「防波堤」です。WIPからPublished(公開)へと情報を移行させる「ゲートキーパー」の役割は、LOIN(必要情報詳細度)に基づいた厳格な検証を通じて、運用者が安心して受け取れる「信頼できる唯一の情報源(Single Source of Truth)」を保証することにあります。
- Work in Progress (WIP / 作業中): 各タスクチームが個別に情報を開発する非公開領域です。
- Shared (共有): 承認された情報が他チームに共有され、空間的な干渉チェック(コーディネーション)が行われます。
- Published (公開): 建設や運用に向けて正式に承認・発行された、信頼できる「唯一の情報源」となります。
- Archive (アーカイブ): すべての変更履歴と監査証跡を永続的に記録する領域です。

画像(出典):Abanda et al. (2025) より筆者作成
最も重要なのは、各ステージの移行には必ず情報マネージャーなどの「ゲートキーパー」による、LOINに基づく厳格なコンプライアンス検証(検閲)が存在する点です。
【プロセスモデル化の利点と課題】
プロセスモデリングによる情報の見える化は、単なる効率化を超え、プロジェクトに欠けていた「ガバナンス」を確立します。**要求事項がグラフィカルに明確化されることで、**手戻りやエラーの削減、実行効率(Efficiency)の向上に直結します。一方で、BPMN図にまとめることで技術的なニュアンスが「過度に単純化」され、誤解を招くリスクや、既存システムとの統合の難しさも課題として指摘されています。
しかし、最新のAIや自律型BIMの台頭を見据えたとき、我々が真に向き合うべきは「どのソフトウェアを使うか」ではなく、「誰がこの建物のデジタルな未来に責任を持つか」という問いなのです。
一方で、BPMN図にまとめることで技術的なニュアンスが「過度に単純化(Oversimplification)」され、誤解を招くリスクや、既存のプロジェクト管理システムとの統合(Integration with Existing Systems)の難しさも課題として指摘されています。
【2026年改訂に向けた教育的リマインダー】
最新の業界動向では、AI(人工知能)や「Agentic BIM(自律型BIM)」の台頭により、これらのゲートでの検証作業が自動化される方向へ進んでおり、情報マネージャーはより高付加価値な戦略業務に集中できるようになります。
-----記事執筆者:
日光 速 / BIMobject Japan株式会社 Head of Business Operations Strategy
2001年に土木工学の学士課程を修了後、15年間にわたりプラント・土木・構造分野でエンジニアリング業務に従事。2015年にMBAを取得し、海外事業開発および建設業界のデジタル化推進へとキャリアを転換。現在はBIMobject Japanにて国内市場向けの戦略立案・運営管理を担い、ISO 19650シリーズの実務研究にも取り組み、香港品質保証機構(HKQAA)にて講師として登壇するなど、標準化と実務の橋渡しに取り組んでいます。
(※本記事はBIMobject Japanと株式会社キャパの共同企画記事です。)
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参考・出典
- ISO 19650-1:2018 — Organization and digitization of information about buildings and civil engineering works, including BIM(BIMを用いた情報管理の概念・原則)。
- ISO 19650-2:2018 — Delivery phase of the assets(納品フェーズ)。
- Decoding ISO 19650 Through Process Modelling for Information Management and Stakeholder Communication in BIM — Fonbeyin Henry Abanda, Bharathi Balu, Selorm Emmanuel Adukpo, Adeyemi Akintola 著。MDPIの学術誌『Buildings』にて2025年1月に発表(Buildings 2025, 15(3), 431。
- ISO 19650 Standards: Terminology Debate — 2026年に向けた規格改訂と用語の変更(BIMからIMへの移行、EIRからIPRへの変更など)に関する分析。
- UK BIM Framework — Information Management According to BS EN ISO 19650(Guidance Part 2 および Part C)。
