広告は、近い将来無くなるのかもしれない。
近年、マスメディアの不調がよく報道されている。
むりもない。
新聞などの紙媒体は言うに及ばず、テレビなどの映像媒体ですら、利用者の高齢化と社会的な影響力をもつオピニオンリーダーの利用低下で、かつての栄華は過去のものとなった。
逆に、インターネットの出現依頼、一貫してwebにおけるマーケティング活動の重要性は増してきた。
コーポレートサイトの作成、ブログ、SNS、メディアへの露出……
旧来のマスメディアは徐々に力を失い、メディアが保持する権力の中心はインターネットに移行しようとしている。
だが、課題もある。
それは「インターネットを媒体としたマーケティング活動」の難しさである。
従来は「マスメディア」にそれなりのコンテンツを載せて発信する、という選択肢しかなかった。テレビ局の数は既成のお陰で有限であるし、新聞社も限られているからだ。
しかし、それは視聴者にとっても触れる媒体の選択肢の幅が少ない、ということを意味する。
だから企業は「とりあえず金を用意」して、代理店に丸投げすれば、それなりの広告効果を得ることができた。
しかし今は異なる。
一人ひとりが異なる媒体を見、異なる人とつながり、異なる価値観に分断されている現代では、
「どの媒体に」「どのようなコンテンツを」「どんなタイミングで」広告を送り出すか、専門家であってもカッコとしたことは言えない。
「沢山の人に見られたほうが良い」ということですら、真実であるかどうかはわからない。
さらに、媒体側にも問題がある。
インターネットメディアは、マネタイズが難しいのだ。
なぜなら、マスメディアと異なり、webは「選択的に」コンテンツを見ることができるため、メディアの視聴者や読者に強制的にコマーシャルを見せることができないからだ。
「広告」が見られなければ、スポンサーはカネを払わない。
しかし、媒体の利用者は広告に興味はない。この二律背反を克服するすべを、未だwebは持たない。
そのような状況を鑑みると、最近では「広告」はなくなっていくのではないかという考え方を、私はしている。
インターネット上では、全ては「記事」であり、「作品」となる。
そして、「記事」や「作品」に埋め込まれた、暗黙の情報を基に、消費者は消費行動を行う。
それは「サブリミナル効果」のように、コッソリと我々の意識に入り込むものなのかもしれない。
(Photo:写真AC)